小川城

小川城(滋賀県東近江市小川町)

元亀二年(1571)九月一日、織田信長勢の攻撃を受け、小川城主・小川土佐守祐忠は七人の人質を進上して許しを乞い、戦火から区民を守った。城は焼失し、祐忠は信長の一武将となる。その後、豊臣秀吉にも仕えて、伊予国今治に七万石の所領を得て城主となり、関ヶ原合戦(1600)では西軍の一大名として二千人の部下と共に従軍した。城址はこの地より北方約150mの高台にある(『現地案内板』)。

『信長公記』によると、元亀二年(1571)9月1日、近隣の志村城を佐久間信盛・中川重政・柴田勝家・丹羽長秀が四方から攻め立て落城。
これを知った小川祐忠が人質を差し出し降伏。3日に金森を攻め、12日に比叡山焼討ちを断行している。

「老人憩の家川寿苑」に城址案内板が建つ。城址の高台は住宅地に埋没していて、遺構は無い。

 

(跡地の航空写真)

 

(城址碑)

 

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