矢島御所
矢島御所(滋賀県守山市矢島町、矢嶋御所とも) 奈良一乗院門蹟は、永禄八年(1565)五月、甲賀の和田惟政の館を経てこの矢嶋少林寺に入室した。 この時を界に時代は変わり、徳川幕政下分部二万石の治める矢嶋分城となり、戸田、川田、新庄今浜、小嶋、矢嶋の管理経営本部となり、明治八年には矢嶋温知学校、明治二十四年頃より自治会館となって、昭和五十三年新会館竣工に依り洋風となったという(『現地案内板』)。 一時、足利義昭が居館とした場所だという。城址は自治会館となり、周辺の民家に土塁跡が僅かに残っているらしいが、遺構はほぼ湮滅した。 |
(跡地の航空写真)
(城跡の自治会館にある城関係の石碑など)