金森御坊

金森御坊(滋賀県守山市金森町、金ヶ森城とも)

豊沃湖南平野の中心に位置する金森は、交通の要衝として早くより開けたが、中世以降湖東に於ける一向宗の拠点として道西坊善従(1399-1488)の頃には總道場が成立し、水濠をめぐらす寺内町が形成された。
寛政六年
(1465)京都本願寺が山徒によりその地を追われると八世蓮如上人は宗祖の影像を奉じて此地に来り以後三ヶ年滞留され教化をたれられた。その間祖像と共に事実上本願寺はこの地にあり正しく本願寺の故址である。
その後、戦国の世には土塁・濠をめぐらす金森城として石山本願寺を攻める織田信長の軍を牽制したが、星霜移って退転甚だしく、わずかにその址をとどめるのみである(『現地案内板』)。

近江の一向一揆の拠点として信長に攻められた場所。戦国期には堀や土塁を巡らしていたらしい。金森長近ゆかりの地でもあるという。

元亀元年(1570)浅井長政が離反し、金森御坊の一向一揆が蜂起。
『信長公記』には、近江路次の警護のために稲葉一鉄父子・斉藤利三を派遣し、敵を追い崩し活躍したとある。また翌年も四方から攻め囲んだため、金森勢は人質を差し出し降伏している。遺構は無いが、風情ある街並みが残る。

 

(跡地の航空写真)

  

(【左写真】金森御坊 【右写真】金森の街並み )

 

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