岡豊城

岡豊城(おこう・高知県南国市岡豊町八幡)は、高知平野のほぼ中央部北辺の岡豊山に位置し、高知平野を見下ろしている。


(土佐の出来人・長宗我部元親肖像画)

この岡豊城は土佐、さらに四国を制覇した長宗我部氏の居城であるが、築城の時期は明らかでない。長宗我部氏の庶流の派生を考えると鎌倉時代末期から南北朝時代には築城されていたと推定される。
もっとも、度々の修造があったであろうし、戦国時代の平山城として、現遺構をとどめるまでになったのは長宗我部元親の父国親の頃と思われる。
天正十五年(
1587)九月より検地を始め、翌年の冬頃、岡豊より大高坂に居城を移した(『日本城郭大系』)。

かつて曲輪があった場所に県立歴史民俗資料館が建てられており、長宗我部関連の展示も豊富なので是非訪れてもらいたい。

 

(現地案内図)

(現地縄張図)

 

(【左写真】詰(本丸)跡。石敷遺構と礎石建物跡が発見された。【右写真】詰と二の段を隔てる堀切。)

 

(【左写真】詰下段。詰の東に付属する小曲輪で、土塁に囲まれている。【右写真】詰西部に残る土塁。)

 

(【左写真】二の段。詰(本丸)につぐ広さの三角形で、土塁に囲まれている。【右写真】二の段の井戸跡。)

 

(【左写真】二の段土塁。【右写真】三の段。礎石建物跡と復元石垣。)

 

(三の段石垣)

 

(【左写真】四の段。【右写真】四の段虎口。)

(二の段からの眺望)

 

戻る

http://srtutsu.ninja-x.jp/

inserted by FC2 system