大津城

大津城(高知県高知市大津・天竺城とも)は、足利の世、土佐の守護細川氏の一族・天竺右近花氏が居城したところ。

天竺氏は、応仁の乱で細川氏の後ろ盾を失い、その姿を史上から没し去るが、落城については諸説あり詳らかではない。山上に古城八幡宮がある(『現地案内板』)。

天文十六年(1547)頃に長宗我部国親の手に落ちて以来、大津城は長宗我部氏のものとなった。
天正二年(
1574)一条兼定が家老たちによって豊後へ追放されたあと、元親は兼定の子・内政を大津城へ迎え、自分の娘を娶らせた。以後、内政は大津御所とよばれ元親の扶持をうけたが、心は楽しまず自暴自棄の生活を送った。
たまたま元親の妹婿で高岡郡波川の城主で幡多郡山路城を預かっていた波川玄蕃が元親に謀反を企てたが、内政はこれに一味した。同八年のことである。元親は、初めは不問に付していたが、同盟の証拠が明らかになるに及びこれを詰問した。こうして内政は伊予の法華津氏を頼って大津城を退去したのであった(『日本城郭大系』)。

遺構はほとんどないが、長宗我部氏と土佐一条氏との関係の深い城跡なのでひっそり訪れた。

 

 

(【左写真】城址碑。【右写真】山頂の古城八幡宮。)

 

(【左写真】堀切と土橋(奥が参道)。【右写真】城址遠景。)

 

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