長浜城

長浜城(高知県高知市長浜字城山)は、秦神社と雪蹊寺の背後の山。

戦国時代に土佐、吾川の両郡を支配していた本山梅慶(茂宗)の子・茂辰の支城で、大窪美作守(弁作)が城主だったという。
長宗我部国親は、父の兼序の死と岡豊落城の首謀者であった本山氏の討滅を決意したが、その機会ができたので、国親の元家臣であった福留右馬允の手引きによって日時を定め、永禄三年(
1560)五月二十六日の雨風激しき夜、種崎がら海を渡り御畳瀬より、長浜城を奇襲して攻略した。
今も城山の北西の谷を”夜討ちが谷”と伝えている(『現地案内板』)。

遺構としては、頂上に通じる山道と山の斜面に掘られた竪堀跡が二ヶ所見られるとのこと(『現地案内板』)。

城山の登城は降雨のため断念した。城山の麓の雪蹊寺に長宗我部信親の墓所があり、付近の天甫寺山に長宗我部元親の墓所がある。

 

 

雪蹊寺(背後の山が長浜城跡)

  

(【左写真】長宗我部元親墓所【右写真】長宗我部信親の墓所(雪蹊寺内)

 

戻る

http://srtutsu.ninja-x.jp/

inserted by FC2 system