高知城

大高坂城とも。

高知城(高知県高知市丸の内)は、南北朝時代には大高坂松王丸がここに砦を築いて、南朝方に味方して戦った記録がある(『日本城郭大系』)。

戦国時代の天正十六年(1588)、土佐の国主であった長宗我部元親がここに築城して、岡豊城(現南国市)から移ったが、城下が低湿地のため水難に悩まされ、3年ほどで浦戸に移った。期間が短く、その規模や構造は明らかではない(『日本城郭大系』)。

現在の城郭は、慶長五年(1600)の関ヶ原の戦いの功績が認められて、土佐の初代藩主となった山内一豊によって慶長六年から築城され、2年後主要部分が完成したが、全体の完成には10年を要した。享保十二年(1727)追手門など一部を残して焼失、宝暦三年(1753)元の姿に再建された(『日本城郭大系』)。

当日(2009/07/24)は、三の丸石垣補修工事&天守塗装改修中であった…。山内一豊には興味がないので、簡単に済ませた。

 

  

天守(三の丸側から)

 

(【左写真】天守と本丸御殿。寛延二年(1749)の再建だが、創建当時の姿が踏 襲されている)
(【右写真】二の丸。かつては政務をとる表御殿と藩主が生活する奥御殿があった)

 

(【左写真】廊下橋・詰門(二の丸と本丸を結ぶ)【右写真】三の丸石垣(現在、補修工事中)

 

(【左写真】三の丸内部【右写真】黒鉄門(本丸搦手の備え)

 

(【左写真】”石樋”。排水が直接石垣に当たらないためのもの。多雨地帯の高知ならでは。
(【右写真】追手門(慶長年間に創建、寛文四年(1664)に再建)

 

(【左写真】追手門の石垣。【右写真】追手門前の水堀。)

 

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