香宗我部城

香宗我部城(こうそかべ・高知県香南市野市町土居)は、香宗川下流の西岸にある。南の土佐湾まで25km、香長平野の東部に位置する平城で、城というより城館というほうがふさわしい(『日本城郭大系』)。

建久四年(1193)宗我部、深淵両郷の地頭職に補され中原秋家の嗣子として、この地に下った「太郎秋通」を初代として、400年間栄えた土佐の名族・香宗我部氏居城の跡(『現地案内板』)。

一方、長岡郡宗部郷(現・南国市)には秦能俊が入部したが、中原・秦両氏はそれぞれ地名に郡名を冠して香宗我部・長宗我部氏を称することとなったという(『日本城郭大系』)。

戦国期、長宗我部国親の勢力が急速に高まって香宗我部領内をうかがわんとする形勢となり、東部の安芸氏の圧迫もあって、香宗我部親秀は国親の三男親泰を養子とし、長宗我部との連合を計画した。親泰は永禄初年(1558)香宗我部家を継いだ(『日本城郭大系』)。

城跡は水田に囲まれ、本丸跡に八幡社が鎮座し、僅かに土塁が残るのみである。

 

   

(【左写真】城址碑 【右写真】本丸土塁痕 )

 

戻る

http://srtutsu.ninja-x.jp/

inserted by FC2 system