浦戸城

浦戸城(高知県高知市浦戸)は、鎌倉時代末期にこの地の豪族の城として築かれ、戦国期には長岡郡本山から高知平野に進出した本山氏の勢力下におかれた。

永禄三年(1560)長宗我部国親が当城を攻めて奪い、居城・長岡郡岡豊城の支城とした。
国親のあとを継いだ長宗我部元親は、天正十六年(
1588)居城を一旦大高坂城に移した後、同十九年頃当城に移し、滅亡まで約10年間長宗我部氏の本城となった(『現地案内板』)。

慶長五年(1600)関ヶ原の合戦で豊臣方についた元親の子・盛親は除封され、土佐は山内一豊に与えられた。長宗我部氏の遺臣、一領具足たちの“浦戸一揆”が鎮定され、同六年当城に入った一豊は、同年九月から高知城の築城にとりかかり、同八年には新城に移り当城は廃城となった。主都としての城下町経営にはふさわしくなかったのだという(『現地案内板』)。

城跡は、坂本龍馬記念館になっており、来年(2010年)の大河ドラマが龍馬なので賑っていた。もちろん浦戸城を見学しているのは小生のみ。しかし、随所に遺構が残っている。

 

 

  

(【左写真】詰ノ段。本丸であり坂本龍馬記念館が建っている 【右写真】天守から延びた石塁を移築したもの )

 

(【左写真】井戸跡 【右写真】本丸からの眺望 )

 

(【左写真】二ノ段 【右写真】堀切。暗くてわかりづらいが、三条の堀切が並んでいる。岡豊城な どでもみられる。)

 

(【左写真】三ノ段にある城址碑 【右写真】石丸神社の六地蔵(浦戸城明渡しに蜂起した長宗我部遺臣273人の胴体が埋蔵された)

 

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