中村城
中村城(高知県四万十市中村丸の内)は、一条時代、西に四万十川、東に後川を望み、中村平野を一望できる丘陵に築城された(『現地案内板』)。 応仁二年(1468)京都の戦乱をさけて、前関白・一条教房と、その一族がこの地に逃れてきた。教房は中村古城を修築して国司として居城した。文明十二年(1480)、教房が死に、房家へと代る(『日本城郭大系』)。 この城は一条時代、長宗我部時代、山内時代が混在しており、遺構かどうか断定できない箇所もあるようだが、広大な城郭として良く残っている。
|
(【左写真】為松城の詰(本丸)跡。 【右写真】本丸に残る僅かな土塁。 )
(【左写真】二の丸に建つ残念な模擬天守…。 【右写真】二の丸を囲む土塁。 )
(【左写真】東ノ城跡。大体現在の三の丸付近であるという。 【右写真】堀東ノ城跡に残る僅かな土塁。)
(【左写真】中ノ森の石垣 【右写真】城跡遠望 )