円良田城

標高337m、比高200m。虎ヶ岡城とも。

円良田城(つぶらだ・埼玉県児玉郡美里村円良田)は、円良田湖の西側の山塊に位置する。

[城山]とも呼ばれ、眼下に秩父をうかがうことができる。しかし、居住者などは不明だという(『日本城郭大系』円良田城の記事)。

また『日本城郭大系』には、虎ヶ岡城としても紹介され、それによれば、鉢形城の出城として食糧の供給を一手に引き受けたといい、円良田側を大手、矢那瀬側を搦め手とし、築城は北条氏邦の家臣・猪俣範綱だという。さらに、山を下るところに「おそばめ」という家があり、これは”御側衆”の名残りと推測し、明治年間に城跡を開墾して桑園とする時に瓦などが発掘されたと記している。

この円良田城と虎ヶ岡城は同一の城郭だという説が強い(『城郭図鑑』『余湖くんのホームページ』)。

遺構は、往時そのままの姿で残っていると思われる。複数の郭と堀切から成っており、戦国時代の山城の典型的な態様である。もと土豪の城砦を後北条氏時代に改修したのかも知れない。しかし、ここに大軍勢が籠城できるような構造ではなく、「食糧の供給を一手に引き受けた」という伝承も信用できない立地・規模である。
“繋ぎの城”という雰囲気である。

城跡はかなりの山奥に位置するが、比較的近くまで車道が通っている。訪問方法は『余湖くんのホームページ』に詳しい。なお、本ページ掲載の地形図を参照されたい。登山道入口からは20分弱を要する。

参考サイト(余湖くんのホームページ城郭図鑑

 

 

 

(【左写真】登山道入口。車の向かいの森に入っていく。【右写真】西側の虎口。簡単な空堀がある。 )

 

(【左写真】最初の郭。虎口を守るものか。【右写真】次に大規模な堀切が出る。山城の醍醐味。)

 

(【左写真】前の堀切の様子。【右写真】その先には更に堀切と主郭が聳える。典型的な中世山城。)

 

(【左写真】次の堀切は大規模で見応え十分。【右写真】頂上には東屋がある。)

 

(【左写真】頂上にある看板。これ以外には無い。【右写真】頂上である主郭。)

 

(【左写真】南側に虎口が開いている。枡形の名残りに見えなくも無い。【右写真】主郭から大手とされる東側を見下ろす。)

 

(【左写真】主郭から下りて一条目の堀切。規模は大きい。【右写真】さらに堀切が一条見られる。)

 

(【左写真】大手から主郭を見上げる。【右写真】城跡遠望。中央の突起したのが城山。)

 

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