一郷山城
標高440m、比高260m。 一郷山城(群馬県多野郡吉井町多比良)は、多比良城の要害城で、吉井町の南にある東西に長い峰の山塊に位置する小規模な砦であった。 永禄六年(1563)二月、武田信玄は見銘寺の水の手を占領して攻め立てた。七日夜、城兵は大石を落として寺もろとも寄せ手を押し潰したところ、火が出て山を焼き、城も炎に包まれ、城将・安部之友以下ことごとく討死して落城したという(『蓑輪軍記』)。 かつては、郭、堀切、土塁、竪堀、虎口などが残り、中世の山砦として良好な遺構を残していた(『日本城郭大系』)。 しかし、現在では、模擬天守・自動車道路を建てるため、遺構は破壊されてほとんど無い。模擬天守を建造するために、遺構を破壊したという最悪のケース…。21世紀に生きる我々の戒めである。 |
(跡地の航空写真)
(『日本城郭大系』所収の縄張図。この美しい中世城砦は破壊された。)
(まったく史実に従わず、しかも貴重な遺構を破壊した偽造天守閣。史跡破壊と税金浪費の象徴。)
(【左写真】城址からの眺望 【右写真】城址遠望 )