高松城
標高326m、比高160m。 高松城(埼玉県秩父郡皆野町)は、城峯山塊の南東端に位置した。 戦国時代の築城とされる。初期には長尾氏が住み、文明十二年(1480)長尾景晴の乱で落城したという(『北武蔵名跡志』)。 その後、後北条氏の支配下となって、北条氏邦の家臣・逸見若狭守が入った(『新編武蔵風土記稿』)が、天正十八年(1590)小田原の役で落城した。 現在、跡地は珪石鉱山として開発され、昭和49年の発掘調査を最後に、すべてが湮滅してしまった。『日本城郭大系』はこれを惜しんでか、多くの写真・文を掲載して、在りし日の姿を伝えている。この素晴らしい城が無くなったことは、非常に残念でならない。 参考サイト(城跡ほっつき歩き) |
(城山の遠望。遺構は失われた。)
(『日本城郭大系』所収の航空写真。複数の柱穴や井戸があり、素晴らしい山城であった。)