龍ヶ谷城

標高321m。千馬城、千馬山城、要害城。

龍ヶ谷城(りゅうがい・埼玉県秩父郡皆野町三沢茗荷沢)は、南に三沢川を控えた山城で、「要害城」の転訛だと思われる。

伝承によれば、用土重利が築城し、その子で北条氏邦の家臣になった用土正光が居城したところという(『新編武蔵風土記稿』)。

遺構は、往時そのままに残っている。頂上の郭を中心に、派生する尾根には何重にも堀切を配置し、一部石積みで補強している。また、本郭の東斜面は横堀などを複数設けた厳重な縄張りを見せている。この辺りは技巧性も高く、戦国末期の様相を兼ね備えている。

城跡は「皆野・長瀞IC」のすぐ南東の山で、県道82号線を南下して「薬湯旅館・竜谷閣」を過ぎた橋を渡ってすぐの左手にある道に入っていく。ほどなく城跡の案内板があるが、山麓の登山道は分かりづらいので地元の方にご教授いただいた。登山は、10分も登れば第一の堀切に当たるだろう。
ともかく、秩父の城郭としては随一の史跡と言えるだろう。

参考サイト(余湖くんのホームページ城郭図鑑城跡ほっつき歩き

 

 

(現地説明板)

 

(【左写真】最初に当たる堀切。【右写真】堀切は石積みで補強されている。)

 

(【左写真】尾根筋の郭。【右写真】一部石積みが見られる。)

 

(【左写真】ほどなく城の中心部が見えてくる。【右写真】頂上の郭。ここには物見台でもあったのか。)

 

(【左写真】主郭から北西に派生した尾根。ここにも堀切あり。【右写真】頂上郭から一段したの郭。ここが本郭か。)

 

(【左写真】一段下の郭。明らかに城の中心部である。【右写真】北東に派生した尾根。堀切がある。)

 

(【左写真】堀切。これは横堀となって城の中心部に伸びている。【右写真】堀切は岩盤を削ったもの。)

 

(【左写真】北東尾根の堀切。大規模。【右写真】さらに一条の堀切がある。)

 

(【左写真】尾根から城を振り返ったもの。二重堀切で厳重な縄張。【右写真】城の中心を貫く横堀。)

 

(【左写真】さらに竪堀が結合し、複雑な縄張になっている。【右写真】さらに横矢も掛かっている。)

 

(【左写真】竪堀も切られて高度だが、なぜこちらを重視したのか?大手なのか。【右写真】枡形のような虎口も見られる。)

(城跡遠望)

 

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