龍ヶ谷城

吉田の楯とも。標高410m、比高差150m。

龍ヶ谷(りゅうがい・埼玉県秩父市吉田久長1556)は、久長の龍ヶ谷山山頂にある山城。

戦国時代、久長但馬守が築城し、副将は小指将監とされ、甲斐の武田氏に対抗するため鉢形城の支城となったとされる(『日本城郭大系』)。
武田氏との合戦関係の感状が『武州文書』などに三通残っていて、それには「吉田之楯」と書かれており、この城と推定されている
(『日本城郭大系』)。
天正十八年(
1590)鉢形城とともに落城し、久長氏は上杉景勝の家臣に、小指氏は土着したという(『日本城郭大系』)。

遺構は、「空堀と土塁が良く残されており、本丸・二の丸・出丸・馬捨場・鐘撞場・井戸跡などが残っており、番場・小指将監屋敷跡・但馬守屋敷跡や幾度かの合戦による戦死者の墓などのあった場所が伝えられている。また、鉄刀・古銭などの出土も伝えられている」(『日本城郭大系』)。

詳細は下記のサイトに詳しいので参照されたい。ただ、これら先哲の見解としては、龍ヶ谷城は未完成の感が強く、「吉田の楯」のような中心的な城郭とは思えないという説が強いようである。

参考サイト(余湖くんのホームページ城跡ほっつき歩き城郭図鑑城逢人

 

 

(城跡遠望)

 

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