篠ノ丸城

熊見城、笹ノ丸城、笹の丸城とも。

篠ノ丸城(兵庫県宍粟市山崎町加生)は、貞和年間(1345-49)に赤松則村(円心)の次男・貞範が築城したという。

嘉吉の乱(1441)で赤松氏が没落し、播磨国は山名持豊の支配となる。
応仁の乱(
1467)で赤松政則が東軍(細川勝元側)に与した功により、旧領の播磨国を回復、家臣の宇野氏を城代に任ずる。
赤松氏の衰退と共に宇野氏は西北播磨で勢力を拡大するが、天正八年(
1580)に織田信長の命をうけた羽柴秀吉の播磨侵攻軍の前に落城。

その後、黒田孝高が入城するが、天正十五年(1587)に木下勝俊が麓に山崎城を築き廃城となる。

この城は黒田如水の居城であったところということで、たいした知識もないまま訪れた。比高200m以上の厳しい登山がある。

 

  

【左写真】本丸土塁 【右写真】本丸城址碑 )

  

【左写真】本丸を囲う空堀跡 【右写真】登城口 )

 (2010年3月31日訪問)

 

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