神吉城

神吉城(かんき・兵庫県加古川市東神吉町神吉)の城主は、神吉民部大輔頼定という人で別所長治の一族として神吉の荘一万余石の領主であった。

その後、織田信長三木城攻めに際し、その支城として千余騎の軍兵によって善戦したが、総大将信長の嫡子で秋田城介信忠のひきいる三万余騎の織田兵に攻められて、天正六年(1578)十六日、遂に落城した。

『播磨鑑』には、

「東西五七間、南北四三間、神吉荘神吉村一本二云、右城内ニ法性山常楽寺と云浄土宗ノ寺アリ、慶安元年戊子ニ御朱印ヲ頂戴ス。右城ハ常楽寺ノ境内ニ成、二ノ丸田地ト成」

と書かれている(『城址案内板』)。
遺構は残っていない。城主の神吉頼定は攻め手の羽柴秀吉を手こずらせた猛将だったが、後世に残る伝承は少なく、この三木合戦で討死したといわれている。

 

 

(城跡の常楽寺)

 (2010年4月1日訪問)

 

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