豊前 田丸城

田丸城(★ 大分県中津市大字福島)

応仁の乱の終わる文明九年(1477)、当地の地頭・福島但馬守祐斎及び息女千代姫が廻国僧・天然和尚に帰依し当寺を開基する。天然和尚は、後に京に赴き蓮如上人の弟子となり釋浄祐の名を賜り、再度九州に下った。これ以後、当寺は天然教化の豊前・防長の道場を統括し、浄土真宗の発展に重要な役割を果たした(『現地説明板』)。

当寺の境内は、福島田丸城跡である。豊前の国人一揆に際し、宇都宮鎮房に呼応した賀来氏(大畑城)、福島氏は、黒田孝高指揮の吉川広家、黒田長政の軍に攻撃された。『陰徳太平記』には両城において討取所宗達の頭八百余級悉く獄門に掛けたと記されている。この時の城主は佐渡守鎮充であり、天正十五年(1587)十二月末の事である。
当寺は細川藩の時代に復興を遂げ、浄土真宗の拠点として現在に至っている。現在の境内地には自然林指定の山林と二重の堀を残し、約一町五畝の敷地は落城時とほとんど同じである(『現地説明板』)。

城址は長久寺で、堀跡などが残るのみである。

 

  

(【左写真】長久寺 【右写真】境内を囲う堀跡 )

  (2011年3月3日訪問)

 

戻る

城と古戦場 

inserted by FC2 system