大友別館

大友別館(★ 大分県津久見市大友町)は、津久見駅裏の津久見川右岸の小丘で、大友公園の地が大友宗麟の晩年の居館があったところといわれている。

もっとも、これといった遺構もなく詳細は不明である。宗麟が津久見に隠居所として居館を設けた理由は、それまでの地は仏教徒の堅塁であり、キリシタン大名宗麟が直々に乗り込んで、キリシタン一色にするためであったといわれている。
やがて津久見の住民はことごとくキリシタン信者に改宗させられ、仏教寺院は全部焼かれたという。天正十四年、臼杵城が島津軍に攻められた時は、宗麟も臼杵城でこれを防いだが、戦後再びこの館に帰り、翌十五年五月二十三日(一説に五月六日)、この地で死亡(享年五十八歳)した
(『日本城郭大系』)。

大友公園が館跡であるが、遺構は皆無。付近に大友宗麟の墓所がある。こちらも穏やかな公園となっています。葬儀は神父達によって盛大に行なわれ、墓はカトリック式に建てられたが、義統の時に仏教式に改められた。その後、荒廃していたものを、近年再び様式に改めた。

 

 

(【左写真】付近にある大友宗麟の墓【右写真】館跡遠景)

  (2011年3月30日訪問)

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城と古戦場 

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