飫肥城

飫肥城(おび・★★ 宮崎県日南市飫肥)は古くから「飫肥院」の跡とも云われているが、何時頃創建されたかは明らかではない。

長禄二年(1458)、島津の族将「新納忠続」を志布志城から飫肥城に移し、伊東方の押えにしているので、それ以前の築城と考えられている。
文明十六年(
1484)伊東祐国(六代佐土原城主)が、飫肥城攻防初戦をはじめてから、天正十五年(1587)伊東祐兵(十九代飫肥藩初代)が豊臣秀吉の九州征討の功により朱印によって飫肥城に入城するまで約百年の我が国に於ける最長攻防戦が行なわれたのである。
以来、約三〇〇年伊東藩の居城であった。旧本丸は寛文二年(
1662)、延宝八年(1680)、貞享元年(1686)の三度の大きな地震で地割れが発生し、現在の本丸へ移転することとなった(『城址案内板』)。

城址は公園として整備され、飫肥小学校を含め城域は広大である。風格のある復元大手門他、石垣・堀などの遺構が確認できる。武家屋敷等も残り、城下町全体を楽しめる城跡である。

 

 

 (【左写真】本丸跡(現在は飫肥小学校の校庭となっている)【右写真】松尾の丸(本丸の南東に位置し、現在は復元された御殿がある)

 

 (【左写真】旧本丸跡(土塁に囲まれ、飫肥杉が林立)【右写真】旧本丸北門(復元)

(苔むした旧本丸石垣)

 

 (【左写真】隅櫓跡(古鐘が残る)【右写真】犬馬場から歴史資料館を望む。)

 

 (【左写真】大手門(遺構を検証し復元された)【右写真】大手門前の空堀跡)

 (築地塀を支える控柱)

 

  (2011年10月5日訪問)

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城と古戦場 

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