飫肥城
飫肥城(おび・★★ 宮崎県日南市飫肥)は古くから「飫肥院」の跡とも云われているが、何時頃創建されたかは明らかではない。 長禄二年(1458)、島津の族将「新納忠続」を志布志城から飫肥城に移し、伊東方の押えにしているので、それ以前の築城と考えられている。 城址は公園として整備され、飫肥小学校を含め城域は広大である。風格のある復元大手門他、石垣・堀などの遺構が確認できる。武家屋敷等も残り、城下町全体を楽しめる城跡である。 |
(【左写真】本丸跡(現在は飫肥小学校の校庭となっている)【右写真】松尾の丸(本丸の南東に位置し、現在は復元された御殿がある)
(【左写真】旧本丸跡(土塁に囲まれ、飫肥杉が林立)【右写真】旧本丸北門(復元)
(苔むした旧本丸石垣)
(【左写真】隅櫓跡(古鐘が残る)【右写真】犬馬場から歴史資料館を望む。)
(【左写真】大手門(遺構を検証し復元された)【右写真】大手門前の空堀跡)
(築地塀を支える控柱)
(2011年10月5日訪問)