池田輝政陣跡
関ケ原の戦い

池田輝政陣跡(岐阜県不破郡垂井町垂井)

池田輝政は、小牧・長久手の戦いで父と兄が戦死すると家督を継ぎ、池尻城主、大垣城主、岐阜城主を経て、三河吉田十五万二千石の領主となった。徳川家康の息女・督姫を娶ったという(『現地案内板』)

関ヶ原合戦では東軍に属し、織田秀信のこもる岐阜城を攻略。
合戦当日は南宮山の西軍に備え、御所野に陣を構えた。合戦後は姫路五十二万石に加増され、姫路宰相と呼ばれた(『現地案内板』)。

跡地は、嘉吉元年(1441)将軍・足利義教の命で、13歳で斬られた春王丸、11歳で同じく斬殺された安王丸(鎌倉公方足利持氏の子)の墓地と同所である。

池田輝政陣跡。道路脇にひっそり碑が建つのみだった。


(跡地の航空写真)

池田輝政肖像画)

(池田輝政陣跡碑)

 

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