伯耆 飯山城

飯山城(★ 鳥取県米子市久米町)は、約500年前に築かれた伯耆・出雲の国境の重要な砦で、中世には山名、尼子、毛利など戦国の攻防戦が繰り返された。

山頂には、南北約85m、東西約35mの曲輪が古い二段の石垣で築き上げられている。湊山と山続きであったので、江戸時代には湊山本城の東の砦となった。

慶長八年(1603)十一月、家老横田内膳村詮が、主君中村一忠に暗殺されると、横田方が反旗を翻し、飯山に立て籠もって激しい戦いが起こった。これが世に言う「米子城騒動」「中村騒動」である。このとき、横田方の剣豪柳生五郎右衛門(但馬守宗矩の兄)が、中村方の武将矢野助之進らと渡り合い、十文字槍を扱いて中村方を多数討ち取ったという武勇伝は勇名である(『城址案内板』)。

国道9号を挟んで米子城の向かいにあります。遺構はほとんどありませんが、柳生宗章激戦の地として思いを馳せました。

 

  

  (【左写真】主郭跡(英霊塔が建つが、遺構はない)【右写真】主郭へ向かう階段)

  

  (【左写真】城址から米子城を眺める)【右写真】城址遠景)

  (2012年9月25日再訪問)

 

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城と古戦場 

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