大和田陣屋

大和田陣屋(★★埼玉県さいたま市見沼区大和田町1丁目)

『埼玉の中世城館跡』(第2版)は、戦国期の陣屋跡で、「大和田1-323」を所在地とし、現況は宅地・山林・台地で、遺構は土塁と記している。

『大宮市史』によれば標高18.8mで、大宮市では最も高所にあたり、西に見沼が開けている要害だった。岩槻城の家老・伊達房実の陣屋で、寿能城の東北約800mに位置する。陣屋の北側には昔は見沼が入り込んでおり(現在の県立商業高校の校庭近くまで)、船着場があったと伝えられる。舟で連絡を取り合っていたと推定される。

陣屋の東端と思われる位置に東福寺跡があって秋葉の小社が残っていた。南の舗装道路によって旧状をうかがうことは難しいが、細沼氏宅を土塁が囲み、樹齢400年以上の大きな欅の枯株があったという(『大宮市史』)。

『新編武蔵風土記稿』には「陣屋蹟 村の西寄にあり、今は陸田及竹薮の地となり、境界さへ定かならず、相傳へてこゝは岩槻太田氏の家老伊達與兵衛房實が居住せし所なりと云」と記されている。

周辺は宅地化が進んで遺構はさらに失われつつあるようだが、一部の土塁の残片が見られる。しかし陣屋の全体像を計るのは困難な状態である。

なお南の舗装道路に設置されていた説明板は、アパート建築によって現在は取り払われている。

 

  

陣屋と寿能城の位置取り。『大宮市史』より)

 

(【左写真】陣屋跡。さらに開発が進んでいる。【右写真】かろうじて残っている土塁跡。時間の問題かもしれない。)

(陣屋の北東に見られる土塁跡。しかし断片的で陣屋の全体像は把握できない。)

 

  (2016/1/3訪問)

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