宿北Ⅱ遺跡

宿北Ⅱ遺跡(しゅくきた、吾妻氏館とも★埼玉県上尾市平方)

『埼玉の中世城館跡』は、戦国末期の館跡で、「平方宿北2455」を所在地とし、現状は畑、台地で、遺構は堀・井戸・建物跡等と記している。

『上尾市史』は、市内には中世に関する伝承や地名、遺跡調査の成果によって城館跡を知ることができ、当所は後者によるものと記している。

『新編武蔵風土記稿』平方村条に、

「小名上に吾妻坂あり、吾妻左衛門と云もの住せし所なりといへり。坂とはいへど今坂にはあらず、僅か許りの塚あり。馬蹄寺の寺伝の略に云、昔当所に吾妻左衛門是好と云る者あり、其伯父なりける三輪庄司好光と云ものの為に草庵(馬蹄寺)を建立す知道と云僧を庵主となし、伯父の菩提を弔ひけりう、其頃は馬蹄庵と号し、馬頭観音を安ぜしと云、此餘三輪庄司が馬と化して人語をなし、及び蹄を折しことあるより寺号となせしとなり、さまざまの事を書つづれど怪談に亘れば取らず。」

と記されている。この吾妻氏、三輪氏と遺構との関係は不明である。

県立上尾橘高等学校付近が跡地で傾斜のある地形になっている。遺構は何も見られない。

(参考サイト・儀一の城館旅

 

(『埼玉の中世城館跡』掲載地図。14-11は「箕輪Ⅱ遺跡」、14-12は「宿北Ⅱ遺跡」)

舌状台地が下っていく立地になっている。 

 

  (2016/9/23訪問)

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