加治木館

加治木館(かじき・鹿児島県姶良市加治木町仮屋町)

島津義弘がこの地を城地に選び、帖佐平松から移り住むのは、慶長十二年(1607)のことである。

この城は高い石垣や天守閣を持たず、屋形造りの建物群で構成されている。空堀や城壁をめぐらし城域を区画し、家臣の屋敷を周辺に配置し整然とした縄張りで現在の街形態の原形がこの時造られた。城中には「東の丸」・「中の丸」・「西の丸」の御殿があり、「東の丸」は現在の高校の敷地で義弘の居館といわれている。

義弘が没すると家久(一八代藩主)がここに住むことになり、別館を新たに今の小学校に築造し、これを「西の丸」(中納言様御殿)と呼んだ。御対面所は、加治木島津九代・島津久長が安政年間に居宅として建てた茅葺き書院造りの建物である。明治になってから第七郷校、仮県庁、郡役所、町役場として使用され、昭和二十年の戦災で焼失した(『城址案内板』)。

島津義弘終焉の城跡。遺構は護国神社南側の石垣のみ。「島津義弘公終焉の地」の標識が目をひく。

 

(現地図)

   

 (【左写真】館跡に建つ護国神社。【右写真】石垣が残存。)

  (2010年9月15日訪問)

 

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城と古戦場 

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