宮部城

宮部城(★ 滋賀県長浜市宮部町)は戦国時代、湯次神社の社僧・宮部継潤が、寺を要塞化したという。

宮部継潤は、近江国浅井郡宮部村(同地)の小豪族を出自にもち、もとは比叡山の山法師であったと伝わる。宮部善祥坊清潤の養子となって比叡山で修行をしたのち僧侶となったが、故郷宮部に戻り、浅井長政の家臣となったという(『Wikipedia』)。

しかし継潤は、元亀二年(1571)、横山城の木下藤吉朗に勧められて織田方に転じた。信長は小谷城攻めのために宮部城を改修し、宮部から虎御前山に軍道を開いたと伝える。継潤は秀吉に従って転戦していたが、天正九年(1581)、秀吉の因幡鳥取城攻めで手柄を立て、鳥取城に移ることになり、宮部城は廃城とされた。跡地は宮部神社となっている(『名城をゆく(小学館)』)。

城跡は宮部神社となり、遺構は堀跡のみである。

 

  

  (【左写真】宮部神社  【右写真】堀跡と思われる水路 )

 

  (2012年5月26日訪問)

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城と古戦場 

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