脇坂安治陣跡
関ケ原の戦い

脇坂安治陣跡(岐阜県不破郡関ヶ原町藤下)

脇坂安治は、関が原の戦い当時は洲本城主で、かつて賎ヶ岳七本槍の一人として名を上げた武将である。東軍に通じていた安治にとって、小早川秀秋の裏切りは願っても無いことで、東軍が優勢に転じる頃合いを見計らい、自ら槍を振るい、大谷吉継隊の側面に先頭をきって躍り込んでいったという(『現地案内板』)。

脇坂軍は、朽木元綱、小川祐忠、赤座直保とともに松尾山麓に布陣。大谷吉継の配下に属していたが、戦くさが始まっても傍観するのみ。小早川隊が寝返ると、4隊も続いて西軍の戸田、平塚隊を攻撃してしまった。かつて、賤ヶ丘七本槍の1人として知られた安治は、西軍への参戦も本意でなく、藤堂高虎らと密約を交わしていたといわれる。淡路洲本の所領は安堵となった(『関ヶ原町資料』)。

秀吉を支えた賤ヶ丘七本槍の1人だが、裏切りの武将として後世に汚名を残している。戦国武将としては当然の行動であり、家名を遺した功績は認められるが、現在の評価・扱いが彼の本意とは思えない。

(跡地の航空写真)

 

脇坂安治陣跡碑)

 

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