安国寺恵瓊陣跡
関ケ原の戦い

安国寺恵瓊陣跡(岐阜県不破郡垂井町宮代)

安国寺恵瓊は、安芸守護・武田氏の遺児といわれる。武田氏滅亡後、安芸・安国寺で出家した。
毛利氏の外交僧として活躍し、
天正元年(1573)12月、
「信長之代、五年、三年は持たるべく候。明年辺は公家などに成さるべく候かと見及び申候。左候て後、高ころびに、あおのけに転ばれ候ずると見え申候。藤吉郎さりとてはの者にて候」
と、織田信長の斃死・豊臣秀吉の才能を看破した話は有名(『吉川家文書』)。

関ヶ原合戦では石田三成らと共謀して毛利輝元を西軍の総大将に引き込むことに成功した。
合戦当日は南宮山の麓に陣を構えたが、
吉川広家の裏切りで動くことができず敗戦後逃亡。京都に潜んでいるところを捕まり六条河原で斬首された(『現地案内板』)。

南宮大社を入り、山を少し登った場所にある。


(跡地の航空写真)

 

安国寺恵瓊陣跡)

(南宮大社)

 

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