百の井屋敷

百の井屋敷(★埼玉県戸田市本町)

『埼玉の中世城館跡』(第2版)は、室町期の屋敷跡で、「本町5-5」を所在地とし、現状は不明で、遺構は無しと記している。多吹苑、戸田御所、江城などの関連名称があるという。

百の井とは桃井の転訛だと思われる。戸田の桃井氏について『新編武蔵国風土記稿』は「桃井播磨守が開基の寺あるを以って考るに、古は彼所領なるべし。」と記し、戸田城が「屋敷跡 村の未申の方にあり。桃井播磨守居住せし邸跡なり。」としている。

『日本城郭大系』は、「市内には、桃井屋敷(百の井屋敷)と呼ばれる所があり、海禅寺などもそこから移されたもので、その開山は桃井氏よりも古いといわれている。したがって、戸田城主も鎌倉時代の豪族・戸田六郎と考える説もある。」と記している。

百の井屋敷との地名は、中世の桃井氏一族が居住した場所であったと思料されるが、戸田城や蕨城との混同もあって、その詳細は不明である。

桃井氏の祖先は足利義兼の四男遠江守義胤だという。桃井播磨守直常は貞治五年(1366)、越中国にて討死したと伝わる(『桃井家譜』)。南朝北朝戦争の頃に武名を果たし『太平記』『南方記伝』等に名前がみえる。『埼玉苗字辞典』の茂木和平氏は「思ふに父直常打死の後、当国に潜居せしにや」と記し、多福院、海禅寺の過去帳に桃井氏の名が確認されるという。

現地は住宅地となって何も遺っていない。

 

現地は住宅地となって何も遺っていない。)

 

  (2016/4/29訪問)

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